ぶっちゃけ794

私は昔から特別な身体で、悲しみと云ふものが具現化されて掌から零れ落ちるのです。


其れはまるつきり模様のないコインのやうで、私が悲しみを覚えて、その悲しみを暫く我慢していると、何時の間にか手に握られて居るのです。私は悲しみを昇華する為に、必ず其れを喰べ無くては行けません。悲しみの塊は大層苦く嗚咽も漏れる程にまずひので、中中飲み込め無いのですが、放つて措くと増長し、やがて自殺の種になるので、どうにかして飲み込みます。どうしてなのかつて、それは分りません、物心付いた頃から私に課せられたルウルだとしか云へません。


「そういう体質の人、たまにいるんだよ」


其ふなのですか。私一人じや無いのですね。


「そういう人に、僕はこの貯金箱を渡してるんだ」


其ふ云って、彼が懐から取り出したるは小さな木犀の立方体。上の面にはコインを挿れるスリツトが明ひて居る、貯金函。


「これに悲しみのコインを入れると、食べたときと同じように、悲しい気持ちを消すことができるんだ」


「ただし、貯金箱の容量は決まってるから、溢れ出した時どれほどの悲しみが襲ってくるか、よく考えて使ってね。どうしても、我慢できなくなったとき、どうしても自分ひとりで片付けられない悲しみが生まれた時、この貯金箱に入れるといいよ」


其れからといふもの、私の悲しみは持余す事も無く為りました。クラスメイトのミヨちやんが亡くなつた時も、何時もは苦くて何度も吐出しながらやうやく飲み込むコインも、函にちやりんと音を発てて吸ひ込まれて行くだけなのです。御気に入りの人形が壊れた時も、先生に怒られた時も、友達と喧嘩をした時も、何時でも函は私を掬つてくれました。


やがて函の伴分が悲しみで充たされて、私は自分で悲しみを喰べる事を思ひ出しました。そふだった、この函は軽々しく遣つて好い物では無かつたのだつた。久し振りに喰べた悲しみは、以前にも増して苦く、最早舌に触れないやうに咽喉の奥に放り込んで飲み込む以外にありません。


其れでも、如何しても我慢できない時は貯金函に悲しみを託して居ると、もう函の容量は六分ノ一位ひしか無くなりました。どうしよう。もう、殆どの悲しみを自分で喰べ無くては行けません。でも、如何しても如何しても、如何しようにも喰べられない場合は、函に挿れても好い事にしましよう。


嗚呼、もう駄目です。これ以上は、悲しみは一片たりとも入りませぬ。抱へ切れなひ悲しみを、無理に函に押し込めやうとするならば、果たしてどうなつてしまうのでしようか、きつと、壊れてしまひます、血が、流れてしまひます。では喰ひやうと云ふのか?其れも最早無理です。この悲しみは、私にはもう既に毒の領域でありますのです。往くも地獄、戻るも地獄の悲しみの奈落の中で、滔滔悲しみは手の中から溢れて来ました。ぽとり、ぽとり、一枚また一枚と私の足許に積れて往きます。


在の函は何だつたのか、ふと想うと其れは私の心だつたのでした。悲しみは酒に沈む滓の如しで、心を澄ませるものなのでした。洋の西では『かたるしす』と呼ぶそうです。私は滓を溜め、滓から逃げ、滓に塗れてしまひました。嗚呼そうか、人生から逃げて居たのだな。なあんだ、今更に気付くくらひだつたら、気付かずに死んでしまつた逢が好かつただろうな、嗚嗚嗚呼。やがて両親も亡くなりました。


私は如何する事もできなくて、如何為るのだろう、うむ、如何仕様も無いや。