ぶっちゃけ732

うへへへーっ、どうも、20世紀の負の遺産REDです!


あー、もう無理、この芸風。今までずっと「ぐふょひょー、こんばんわ、ゴミクズでーす、好きな飲み物は山吹祈里ちゃんの汗でーす!」とか「どぅふふふふ、こんばんわ、俺の名は『比類なきクズ・RED』、趣味はフィギュアを舐めることどぅふ!」とか、数々のキモ野郎な発言をしてきました。


しかしこの芸風に何の意味があるのだろうか。事実を事実として伝えたところで、何が面白いというのか。そして、そのたびに削られていく僕の心。気付いてしまったね、馬鹿じゃねーの、みたいな現実に。まったくもって無・意・味!もっと、こう、さ、「やだ、このREDっていう人、ひょっとしてイケメン?」とか思わせる工夫が必要だったよね。顔の見えないネットなんだから、もっと自分を偽ってもよかったはずなんですよね。


と思ったが、人間は全くの無からキャラクター性を演じることができるのだろうか。無理だろう。きっと会社で「RED君って彼女いないのー?」って話を振られたときのようなしどろもどろ王になる。会社とかいう僕の心を八つ裂きにするデスワード(Death Word)書き込んだおかげで余計に自信がなくなった。僕の残された精神力が塵と化した。くっそぅ……僕に、小学校高学年〜中学校のクラスに1人くらいいる、『アタシ、霊が見えるんだ……』と真顔で言う、近寄りがたいタイプの女子くらいはスラスラと雄弁に自分語りができればいいのに……高校に入ると霊が見える女子ってキッパリといなくなりますよね。


信じられないほど脱線したが、何が言いたいのかというと、全くの嘘でキャラクターを作ることはできないということ。少しはリアリティを求める必要があり、そのリアリティの部分は僕の中から生み出すしかない。全くのフィクションではリアリティなど存在できないからです。つまり、例えば冒頭の挨拶を考えるならば、「こんばんわ、今日も近所の女子中学生にカッコイイー、素敵です!と言われたREDです、ごきげんよう。僕の脳内に住んでる女子中学生なんだ、滅茶苦茶にご近所物語だよね、徒歩0分!」とまあ、やだ、この人、もしかしてイケメン?と前段で思わせておいて、ただの妄想でしたーあばばばばば!みたいな流れにするわけで。


いつもと変わらない日記だよ、おかしいな。