ぶっちゃけ285

あの、昨日パワステが壊れてしまった車の話なんですけれどもね。


昨日は販売店は開いてましたが整備工場の方は閉店してまして、今日、修理しに行ったんですよ。あれだ、もう、ベルトを取り替えるのね、僕の車はエンジンルームが変なところにあって苦戦したのかなぁ?なかなか終わらないんですよ。うん、まあ事務的なものじゃなくて工学だから、そういう事もあるし、別段気にも留めないでぼんやりと待っていました。


ショールームの車も全て冷やかして、パンフレットとかも読み尽くして、暇の極致になろうとしたところで修理が完了したみたいなんですけど。どうもサービスマン曰く、右前輪を固定してあるネジがへし折れて行方不明だ、と。直さないと走行中にタイヤがはずれるかもしれないし、死亡する、最悪相手を死亡させるかもしれませんからね、仕方がないので修理します。修理費が突如として倍に膨れ上がるわ、車は入院だわ、おまけに顔は不細工だわで踏んだり蹴ったりです。


あーあ、確実に神、いねー。どうして僕がこういう目に会うのかしら?いくら僕の事が嫌いだからって、それで不幸に会わせる理由にはならないでしょう?や、パワステの駆動ベルトは劣化するし、3〜4万kmで交換目安だからさ、どうせいつの日か交換する物だから必要経費だね、って割り切って考える事ができますよ。でも、タイヤのネジって、明らかに単なる不幸じゃん。SATSUGAIするぞ、神の野郎……。


例えばさ教育心理学では、いじめは、いじめをした側が100%悪い、いじめられる方には悪い点など微塵もない、って考えます。確かにいじめを受ける人は、いじめた側に言わせると、例えば気持ち悪い人だとか、調子に乗って気分を害する行動を起こす人だったり、社交的じゃない人だったり、そういうのに該当する人だったりします。


でもさ、どうしてそれがいじめる理由になるのかな?だからって、いじめをするっていう事の根拠にはならないでしょう?っていう話。確かにいじめをする側にとって、いじめを受けている人間は気に入らないタイプの人間なのかもしれないけれども、その事と、いじめをするっていう事は別次元の話なんですよね。


だから神も、いくら僕がキモメンでコミュニケーション障害を患っていて社会不適合者だからって、不幸な目に会わせても良いって事にはならないんですよ?そんな事もわからないで、よく偉そうにしてられるなぁ。絶対に馬鹿だよ。っていうか、前述の障害も神のせいじゃんかよ、自分で僕という欠陥人間を作り上げておいて、キモイから不幸にしてやるって……お前、その脳障害は保険の適用外だよ……。


で、出たー!REDさんの48の必殺技のひとつ”地獄の責任転嫁”だー!